三月の初級講習会参加に至るまで

2017年の4月の同窓会で私が大動脈弁狭窄症とお話したら、鈴木指導員から勧められて、5月より中村節子指導員の整体を6回受け、7月から捧気貫頂法初級を受け始め、10月には捧気貫頂法中級に進みました。今回も鈴木指導員のお勧めで初級講習会に参加しました。
6月末の小学校のクラス会の近況には「目下、気功整体に救いを求めて手術を避けたいと願っています」と書いていました。
・2014年
1月に心臓弁膜症大動脈弁狭窄症の診断を受けました。4月には東大病院で弁置換の即手術と言われましたが、家族は私が見た目は元気なので、手術には反対でした。
心臓から血液を体全体に送り出す大動脈弁が石灰化して普通の人の3分の1くらいしか開いていないので、バス停まで走って死にそうになり、これはおかしいと思うようになりました。原因はもちろん加齢によるものですが、加えて私の場合は先天的に、本来弁は三尖のはずが二尖であることも関わりがあるようです。手術をしないために娘の勧めで、東京女子医大東洋医学研究所で漢方薬をもらうようになりました。
・2017年5月
現在73歳。弁置換の手術は75歳の時で良いでしょうと言っていた循環器内科の主治医から即手術を勧められました。
夜寝ていても息苦しくなったので、リクライニングベッドを借りるために介護保険を申請。要介護1が認められました。
・2017年11月
循環器内科の検査結果は、私の病状では10人中、8~9人は即手術だが、私はBMP(心不全になる可能性)の値が良くなっているので手術はまだしなくて良いと言われました。
私は、心臓が直接痛いと感じる胸痛よりは脇の下が痛い、みぞおちが痛い、下腹部が痛いという症状が多かったので、初めは心臓が悪いと気がつきませんでした。
主治医からは、息切れ胸部圧迫感(狭心症)、失神の順に症状が出ると言われていました。自分の体の中で何が起こっているのか理解できず、それがなんとも言えず不安でした。
中村節子指導員から息苦しい時は「中指の中魁を押しながら、ゆっくり深呼吸をしてみてください」と教えられた時はとても嬉しかったです。
また、初級教室に通うようになり、中村和子指導員から暑くて歩くのが大変な時は「混元霊通と言って歩きなさい」と言われ、その通り実行して大塚駅から息苦しい中、懸命に歩きました。今でも歩く時は息苦しいのですが、教え通り「大丈夫、大丈夫」と言って、プラス思考で何事も乗り切ろうと努めています。
11月から3ヵ月間、ひどい咳が治らなかった時は「自分から咳を止める意識を持ちなさい」と言われて、初めは、出るものは出るのにと思いましたが、意識を変えることによって咳が静まり厳冬を乗り切ることができました。
合同練功の時は、捧気貫頂法の腰を曲げる姿勢は息苦しくてできないと思っていたのに、気場が強かったせいか、できたのでびっくりしました。その後、初級教室でも息苦しくならずにできるようになり自分でも驚きました。
徐々に自分の体にも自信が持てるようになり、教室のたびに便秘や歯痛や頭痛の対処法も伺って、自分の体の声を聞き対話ができるようになった気がします。
今回、3日間の初級講習会は朝から夜までなので、私の体は持たないのではないかと思っていましたが、同世代の初級クラスからずっと一緒の方をお誘いしたので、何とか日程をこなすことができて感謝です。
顧先生直々に、動作の癖を直していただきました。休み時間に、方暁先生が時計を前に三心並站圧をされていたのを見て感激でした。先生方が如何に真摯に練功に日々励んでおられるかを知り、師を敬うと言う八句の言葉をますます実践できました。
講習会後、一週間ほど下痢が続きましたが、練功の反応で悪い物が出たのだと和子指導員から伺って納得いたしました。
顧先生から勧められた漢方の朝鮮人参はすでに私の煎じ薬の中に入っていました。また八味地黄丸は前に服用していたので、漢方の先生にまた処方していただきました。気功と漢方が中国発祥として共に係わり合いがあることも教えていただき感謝です。
捧気貫頂法は特に私には難しかったので、DVDを買って家で毎日のようにやると、気が体を貫く心地良さを味わうことができるようになりました。いつもDVDで見ている顧先生の号令を直に聞き、気をたくさんいただいて、3日間練功することができたのは有難く貴重な体験でした。

大塚教室 原 流美子


6ヵ月で・・・

智能気功初級クラスに通い始めたのは、教室の前の通りの桜が雨にぬれていた今年(2016年)4月の日でした。その半月ほど前、たまたま一緒に旅行に行った友人に、2月に帯状疱疹にかかったことを話したところ、智能気功をやるといいと強く勧められ、帰宅後、大塚教室の地図がFAXで送られてきました。それまで智能気功の存在も全く知らず、どんなことをするのかも分からなかったのですが、「ま、どんなものかのぞいてみよう」くらいの軽い気持ちで教室に顔を出しました。その初級クラスで、気を送ってくださる時間がありました。最初に「どこに?」と尋ねられたとき、咄嗟に「眼に」と答えていました。実は左目が黄斑前膜だったのです。

黄斑前膜といってもご存知ない方が多いと思います。加齢とともに目の中のゼリー状の硝子体は網膜から離れていくのだそうですが、網膜の黄斑(視神経につながっている大切なところ)に剥がれそこなった膜が残っていたのです。その膜がうまく剥がれてくれればいいのですが、破れてしまうと手術が必要となります。治療法はないので、投薬も生活上の規制も特にはありません。

黄斑前膜が見つかったのは東日本大震災の翌年、2012年5月です。金環日食の日に右目に大きな糸玉のような飛蚊症が現れました。日食の太陽を直接見てしまったためかもしれないと、近くの眼科医に行ったところ、断層撮影の映像を見ていた医師が「おっ」と声を上げ、左目が黄斑前膜であること、他にも網膜剥離を起こしそうな箇所がある、右目は神経が弱い、すぐ手術が必要かもしれないと言いました。愕然としました。

幸い、すぐに黄斑前膜の手術をしたばかりの知人に出会い、病院と医師の名前を教えてもらい、早速予約を入れました。そこではすぐ手術する必要はないこと、この先の経過としては、①自然と剥がれる、②破れて手術、③このままの状態が続く、の3通りがある。3ヵ月毎の検診を受けながら経過観察を続け、もし視力が急に落ちたり異常が起きたらすぐ来るように言われました。もちろん命にかかわるものではないし、破れた時には手術という手段があるのですが、今日か、明日か、バスの振動でも破れてしまうのではないか・・?と、四六時中脳裏から離れない不安でいっぱいの日々が続きました。2年くらい経ったころ、検診の視力検査で縦線がギザギザと歪んで見えました。そうなってみると周り中縦線だらけで、しょっちゅう左目で確かめては落ち込んでいました。

そのうち、自律神経が不調をきたし始めました。他の要因もありましたが、目のことを気にして不安に思い過ぎていることが大きいと思い、なるべく考えないようにしようと心がけるようになりました。

そんな時に智能気功と出合ったわけです。黄斑前膜のことを話した時の中村和子指導員の「大丈夫よ」の一言がどんなに心強かったことか。クラスがある度に中村和子指導員はじめ教室の何人もの方が気を送ってくださいました。温かかったり、すーっと涼しかったり、その時々で違う感覚がありました。自分では自宅で練功することもせず、時々開閉をしては「目は正常になる」と目に手を当て、気を入れるくらいのことしかしていませんでした。始めて1ヵ月半経った時に病院の検診がありましたが、結果は「変わりありません」。中村和子指導員は、中で変化が起きているとおっしゃっていました。

そして、9月末の検診。それまでの担当医師が退職してしまい、初めて会う医師(なんと、同姓の中村先生)です。ちょっと緊張して診察室に入ると、若い女性の医師がニコニコしながら「膜が自然と剥がれていますよ」、「黄斑がきれいな形に戻れば卒業です」と、前回と今回の断層撮影の写真を並べて説明してくださいました。まだ教室に通い始めて6ヵ月。こんなに早く、こんなに嬉しい言葉を聞けるとは予想していなかったので、びっくりしました。中村和子指導員にはすぐメールでお知らせし、家族にも伝え喜んでもらいました。

今回のことで、西洋医学では治療法がないと言われても決して何もできないわけではないということと、智能気功はなんだかすごい、とその奥深さを実感しました。ここ数年自分もあちこち不調になるし、周囲には何とか「正常に」なってほしい人が何人もいます。智能気功の入口に立っただけの私ですが「一家に一人いるといいわよ」という「一人」になれるようがんばらなくては、と思っています。

中村和子指導員、教室の皆さん、ありがとうございました。


大塚本部教室 八木陽子


第一歩功指導員検定を終えて改めて思ったこと。

第一歩功指導員検定を終えて、智能気功と出会った6年を振り返ると共に、今回の検定で得たもの、感じたことについて考えてみました。

若い世代に智能気功を
私が母に連れられ大塚の教室を訪れたのは、高校3年生の受験を終え、一息ついた頃です。最近では若い世代が徐々に増え始めましたが、教室に通い始めた当初は全くいませんでした。それでも気功に興味を持ち、何かの縁を感じ続けてこられたのは、中学生の頃から体調に悩まされていたことが大きいと思います。

私は中学1年の頃にひどい吐き気に襲われるようになり、外で食事をすることはもちろん、一駅先にすらいけない時期がありました。病院にも行きましたが原因は分からず、薬を飲んでも効きません。病気になったら医者が治してくれるとずっと思っていましたが、これを期に医者でもどうにもならないものがあるのだと理解しました。原因が分からず薬も効かないこの吐き気は一体いつまで続くのか。そもそもこれから進学し、社会に出て働くことなんてできるのだろうかと日々不安を抱えていました。しかし、学年が上がるにつれ徐々に症状は弱まっていき日常生活には全く困らなくなりました。

再び体調を著しく崩したのは大学2年生になった時です。「最悪だな」とは思いましたが、この時はそれほど不安ではありませんでした。というのも原因が分からずとも気功で何とかなるだろうと思えたからです。これは中学の時との大きな違いでした。

若い人でも私のように原因のわからない体調不良に悩まされている人は実は多いのではないでしょうか。若いために普通に元気に生活している人との比較や周囲から理解されないこと、将来への不安などに苦しんでいる人も多いはずです。そういった人たちに智能気功は心の支えになると思います。また、ストレスの多い社会で頑張って働いている世代の人にこそ自身の健康と心のケアに気功はとても良いと思います。今回、指導員検定を一緒に受けた6人のうち3人が若い世代であったことは、やはり若い世代にも気功は必要であり受け入れられつつあるということだと思います。検定を受け、人に気功をどのように伝えるかを改めて考え、勉強することができたので、身近で困っている人がいればどんどん勧めていきたいと思います。そうして、智能気功に縁と福のある人が増えていけばいいなあと思います。

理論勉強の大切さ
今回、指導員検定を受け、人に気功をどのように伝えるかを学べた他に、理論を勉強し直し、その大切さを再認識しました。

先日の練功中のことです。急に経験したことのない激しい痛みが背中、お腹の全体にはしり動けなくなりました。あまりの痛さに一瞬救急車かなと思いましたが、いや待てよ、これは練功反応の気が患部をつく反応では?と思い、とにかく緩めることにしました。骨なのか内臓なのかどこが痛いのか、とにかく全体が痛むのでひたすら「緩め~、ほーん~」を繰り返しました。すると、7,8分ほどですーと痛みは消え、まるで形神庄2節の後のように喉の通りがとても良くなるのを感じました。ですが、痛みが引いても再び痛くなるのを怖れ、その日は練功せずに休んでしまいました。

この時、パニックにならずに対応できたのは、これは気が患部をつく反応では?と予想できたことだと思います。つい理論勉強は疎かにしてしまっていましたが、理論を勉強することは心の揺れを少なくし、気功に対する信念を確立していくのにとても大切なことなんだと身をもって経験しました。

ただし、この時の後悔としては、続けて練功した方がいいと思いながらも、やらなかったことです。やはり頭で理解しているのと実際に実行できるのとでは全く違います。実際に実行できて初めて自分のものになると思いますので、大事なプレゼントを自ら捨ててしまったような後悔が残りました。その為、次回同じような痛みが来たら、今度こそ練功しようと思います。そしてこれからも、理論を学び実践を続けていこうと思います。

中村和子指導員、教室の皆さん、ありがとうございました。


小林由佳


すべて上手くいきました。

毎朝、神様、仏様、亡き両親に挨拶して、感謝しつつ1杯の水を飲んで捧気貫頂法を始めます。今日も快腸で快調な1日になります。
昨年の12月、私は巨大横行結腸癌(15㎝×8㎝)でした。お医者さんは、大きすぎるので、抗がん剤治療で小さくしてから手術するという事でした。人工肛門を付けてもらい、食事は出来るようになりました。
大村教室で智能気功を習っている妹は歯のカチカチ功法の仕方を教えてくれ、癒しの気功のCDと『智能気功上達の必読書』をお見舞いに持って来てくれました。末期癌でも治ることがあると聞いた話と重なり「私も治る」と信じていられました。初めての抗がん剤治療の時と術後、橋本指導員は病室の気場作りと外気調整、抗がん剤にも気を入れてくださり、開閉の仕方も丁寧に教えてくださいました。
また、妹は早くから遠隔調整を中村指導員、北島指導員にお願いしていたようです。両指導員にはメールにても励まされ助けられ、大村教室の皆さんにはたくさん応援していただきました。おかげで副作用の吐き気もなく、食事も美味しくいただけ私の出来物ちゃんはどんどん小さく(体積で64分の1)なりました。
術後、今までと同じように過ごすと駄目だ、変えたいという思いもありました。その時、北島指導員に5月の初級合宿を勧めていただき参加することが出来ました。気場が凄く良く最終日には「癌は消えた、治った大丈夫」だと感じました。(大村教室、北島指導員のお宅も居心地抜群です)手術日を延ばして合宿に行けたことは幸いでした。
6月4日、横行結腸癌切除の手術は「良好な結果が出て良かったですね」とお医者さんに声をかけていただく程、お陰さまですべて上手くいきました。
・人工皮膚を使わずに済んだこと
・人工肛門が閉鎖できたこと
直前に色々悪い場合の説明を受けましたが、良い結果になりました。最後まで大丈夫だと信じられたことが良かったと思います。7月の中級合宿に皆さんに助けられながら、妹と一緒に参加することもできました。
尊敬できる先生方、指導員の方々、仲間友人の皆さんに出会えたことが幸運でした。ありがとうございました。この夏、練功と皆さんの応援のおかげで、元気で過ごせる幸せを感じています。皆さんにお会いできることを楽しみにしています。これからも宜しくお願いします。

大村教室 有川弘子


急性肝炎を気功で乗り越えて

昨年1年ぶりに採血をした。その結果、主治医も慌てる程の肝機能数値が出た。GOT610、GPT905、生まれて初めてのこと。
この数値では即入院、病名は急性肝炎との診断。その頃、時折足がだるかったり、肝臓の部位辺りが少々重い時があったが、仕事で忙しく過ごしていた。入院せずに通院治療で治したい旨「私の希望は気功で」とまで言ってしまった。主治医は笑って、肝機能の数値だけなら院内ですぐに再検査ができるとのこと。採血の順番を待っている間、我肝臓に手を合わせてあやまり「頑張ってくれてありがとう。そして肝臓の数値、元通りになる」と私なりに一生懸命外気発射して採血の番となった。40分後、採血の結果GOT474、GPT658で1カ月前より下がっていた。先生は肝硬変を心配されていたが、数値が下がっているから通院で治療しましょうと、取り合えず大豆レシチンをベースにした薬を1日3回飲んでくださいと渡された。3日間飲んだがやめてしまった。
その後、1カ月ごとに通院し採血。その折にも先生に「薬はいりません」と申し上げた。数値も少しずつ下がった。当時は捧気貫頂法の上級クラスで練功し、他にも出席できる講習会に出て、教室の気場の中で練功するようにした。今年になり、講習会の強い気場の中で練功すると良くなるとの中村和子指導員のアドバイスで、3月の初級合宿に参加した。
すると今年の2月の数値GOT112、GPT144が4月にはGOT49、GPT48に下がった。その後、6月の指導員研修に出席。この研修では漠然と正常値になると思っていたが、内容の充実した勉強で、数値はGOT41、GPT32の本当の正常値になった。約1年かかったが、お陰様でA、B、C型のウイルス肝炎ではなく、主治医は「肝臓が風邪をひいたんでしょう」と。私は「気功で治りました」と申し上げたら、笑いながら「よく頑張りました」と喜んでくださった。
この1年、中村和子指導員の授業の前や休憩時間の折の外気発射。またある日はお台所で食器を洗っている時、肝臓が温かくなった気のプレゼント。特に昨年の上級強化合宿で、顧先生の貫頂をいただいた折の肝臓が温かくなった体験は、忘れることができません。智能気功で縁をいただいた人生の先輩でもある友より、診察日1週間前の時間を決めた遠隔の応援。中級クラスの帰り際の顧先生の「肝臓は治った」と私の目をじっと見つめて言ってくださった気の言葉。心がホッとした。
その翌日のCT検査は省略となり、気の不思議、気場の効能を深く感じ入った次第です。人生の後半になり、新たな尊い人間関係、智能気功の奥深さを体得することができ、もっともっと精進せねばもったいないと思っています。命は時間ですもの。今でしょ!!
顧先生の著書「智能気功 上達のための必読書」は私達に3つのものを与えてくれます。それは希望、向上する力、命の充実感。これらを得られるのが智能気功ということを実感致しました。応援してくださった方々に感謝の思いです。

一歩功指導員 松下勝子


筑波山に登った。

私の目標は普通に歩けるようになること。
もともと先天性股関節脱臼でしたが、テニスもでき、普通の生活を送っていました。父の介護で腰を痛め、背骨が曲がり側湾症と言われ、頚椎までずれ、股関節に痛みが走り、膝、足首にまで痛みが出て、筋肉は衰え、杖を使う生活になりました。
2006年7月から大塚の教室に通い始め、2007年4月7日には、杖なしで歩けるようになりました。
なぜ気功を続けられたかといえば、こうでもない、ああでもないと疑問に思ったからでしょうか?
最初は毎日1時間半ぐらいCD、テープで練功しているのに、なぜ効果(私の場合は痛みが消えること)が得られないのかと疑問を持ちました。立ったり座ったりして練功しているからダメなんだろうかと思い、いつまでこの状態が続くのかと思うとあせりました。
先輩から「皆とスタートラインが違うから」と言われ、そうか、私はマイナススタートなのだから効果が出るのに時間がかかるのは仕方がないのだと思い、練功時間を2時間に増やして続けました。まずは立って練功ができるようになること。そのうちに大塚の教室や合宿では何とか立って練功できるようになりましたが、自宅ではまだできません。気場が弱いせいなら、自宅の気場を強くすれば良いのではないかと思い、練功する前に座ったまま時間をかけてゆっくり気場を作ることにしました。気場をしっかり作るようになったら気持ちも落ち着き、練功がやりやすくなりました。だんだん立って練功できる日が多くなり、気がつけば10月1日からずっと立って練功していました。やっとスタートラインに立てました。
次に自分の状態について考えることにしました。
私が読んだ本によれば、気は遠赤外線で、人間は常に遠赤外線を放出していて、そのおかげで体温を維持していると書いてありました。私の平熱は35.2度~35.4度、朝起きる前に体温を計ると35度以下のこともあります。
整体を受けても温かくならず、身体の芯が冷えている。痛みがある。
私の状態って、以前よりは良くなってきたとは思うけど、以前が悪すぎてまだまだ根深いのだと思うようになりました。
そこで病院に行く代わりに、自宅を気功の病院と思えば時間が作れると思い、自分の日常のスケジュールの中に気功の時間を入れるのではなく、まず気功が一番、次に日常のスケジュールを入れることにしました。この方法で練功時間のことが気にならなくなりました。
それから私が良くなっていく過程をみていてくれ、話し合える友達がいることは励みになりました。何でもプラス思考で考えようと話しています。
そして2007年10月22~28日 健康回復コースに参加し、もっと良くなる希望がみえてきて、気功を続けていて良かったと思い、気功を信じる心が深くなりました。
現在背骨の軟骨はレントゲンではっきり写るようになり、腰椎のでっぱりはなくなりました。姿勢が良くなってきたと皆に言われます。左右の足の長さが2cm程違っていたのが0.5cmの差になりました。坂を上がる時、足が引っかからず楽に登れるようになりました。片足に体重をかけられるようになり、両足を肩幅近くまで広げられるようになりました。痛みも練功反応が起きている時以外は、以前より楽になってきました。
もうすぐ健康回復コースから9ヵ月になります。練功していると身体全体が温かくなり汗が出るようになりました。
気を持ち上げている時、重さを感じるようになり、熱さも感じることがあります。気を注ぎ込んでいる時は、波が頭から足裏まで押し寄せているような感じがしますし、私のまわりの空気が温かいのも感じられるようになりました。 もっともっとがんばって、肩に力を入れずに普通に歩けるように、そして以前のように走ることができるようになりたいと思います。
(2008年8月発行会報より)
~冶部さんはこのあと2008年10月の筑波山合宿で頂上まで登られ、感想文を寄せてくださいました~

筑波山を登って
2回目の筑波合宿です。
去年はロープウェイで展望台まで行き、そこで筑波の麓の景色を眺めていました。見渡す限りモヤモヤでした。皆さんが山登りするのが私にはまぶしく映りました。山登りできるようになるまで筑波に来るぞ! と思いました。
今年、顧先生に山に登っていいですか? とお聞きしたらゴーサインが出ました。「登るぞ! やったぁ!」という気持ちでした。
登る前に綱川さんが杖を買ってきてくださり、準備OK。いよいよお山に登ります。
顧先生が先頭で次が私、綱川さんがいつも私の右側。河野さんが私の後ろ、左側は木村さんがサポートしてくれました。私はそこに道があるから歩く、そこに岩があるから登るという感じで、足はどんどん上がっていきます。おっ、私の足、がんばってるなって感じます。もうすぐ、もうすぐ! 山の頂上に着きました。山頂から見る空は青く澄み渡り、天と地の境目のモヤモヤがよく分かり、何とも言えない安堵感がありました。
皆さんに助けていただいてとうとう山登りができました。お天気も良く最高! なにもかもうまくまわったという感じです。本当にありがとうございました。
今考えると、私としてはかなり無謀なお願いをしたんだなと思います。知らないということはすごいことですね。その時は顧先生についていけば頂上に行けるという一点しかありませんでした。「やった!」 という達成感で今は胸がいっぱいです。
(2008年11月発行会報より)
下は冶部さんのレントゲン検査のデータです。
気功練功や気功整体で得られた効果が見てとれますので、参考までに掲載いたします。

2007年データ

2008年データ



学院教室 治部愛子


人生はいくつになっても逆転できる

大畑敏久 腰痛も視力も高血圧も回復し、気力が充実した。気功に出会わなければ、私の成功は絶対になかった。

「致知」雑誌(2009年8月号)のインタビュー(一部)
長年勤めた銀行から出向を命じられたのは、激務がたたり体調を大きく崩している時だった。出向先は倒産寸前。どん底で出合った気功を通じ六十代で大輪の花を咲かせた大畑氏に、人生を転換させ、真の生きがいを掴む秘訣を伺った。

――大畑社長は、七年前に設立された御社を、後発にもかかわらず数年で業界トップにされたそうですね。
大畑 当社はFX(外国為替保証金取引)という外国通貨の売買を事業の柱にしております。大変変化の激しい世界で事業展開をしていますが、お客様第一という姿勢を貫いてきたことが大きかったと思います。

――御社を設立されたのが六十二歳。来年は七十歳とのことですが、いまも第一線で精力的にご活躍を続けられる秘訣は何ですか。

大畑 十年以上実践している気功です。気功に出合ったおかげで、私は人生のどん底から立ち直り、六十歳を過ぎて大きな花を咲かせることができたのです。

――気功で人生が花ひらいた。
大畑 気功に出会う前の私は、仕事も健康状態も最悪でした。五十四歳の時に長年勤めた銀行ブローカーに出向を命じられたのですが、それまでの激務がたたったのでしょう、当時はひどい腰痛に悩まされていましてね。いつも足を引きずるようにして歩いていました。痛くて十五分と椅子に座っていられないので、会議の時など腰の負担を軽くするため、床に重ねた電話帳の上に足を置いて、やっとの思いで坐っていました。自宅で食事をする時など、途中で何度も床に横になっては食卓に戻るという有り様でした。

とにかく生きていること自体が辛いのです。おそらく、気功に出会わなければあのまま朽ち果ていたでしょうね。とてもこの年まで生きていられなかったと思います。

――いまの元気なお姿からは想像もつきません。

大畑 おかげさまで、気功を始めてからは健康レベルがぐんと上がりました。腰痛が治っただけでなく、風邪はひかないし、虫歯にはならないし、視力も回復してメガネも不要になりました。

それに伴って精神面も研ぎ澄まされましてね。街を歩いていても、それまであまり感じたこともない風の匂いに心癒されたり、道端に咲いている小さいな花に目が留まって「きれいだな」と感激したり、若い頃の感性が甦ってきたんです。
(役職名はインタビュー当時のものです。)


大畑敏久
外為どっとコム代表取締役社長
日本智能気功学院指導員


病を克服して

横田千里 2009年2月1日、久々に父の介護から解放され、遠方から上京する友人とのランチ。いそいそと着替える途中、一瞬にして気分は暗澹たるものに。背筋が凍る思いというのはこういうことなのか。左胸に5センチ程のかたいしこりを発見した。暮れからの父の入退院を恨んでみたり、なぜここまで気付かなかったのかと自分を責めてみたり、とにかく一刻も早く受診しなければと知り合いの医師の紹介状を握りしめ、ここぞと思う病院へ向かった。受診先の科は包括的ガンセンター。乳ガンを証明すべく検査は始まり、一週間のうち半分くらいは病院通いとなる。当然ではあるが不安は募るばかり。そこに中村和子指導員から「どうしてますか?」とメールをいただいた。父の数回の入退院でしばらく気功を休んでいた私。今思うと、これも気のなせるわざなのか、教室の一生徒であった私を気遣ってくださったありがたいメール。藁をもすがる思いで返信した。「とにかくすぐにいらっしゃい」というの力強い言葉に導かれ、翌日には教室に伺い整体をしていただき、入院までの間、夫と教室へ通う運びとなった。一度の外気調整で凍っていた心が解けだし、体はぽかぽかと温かくなった。中村指導員の「大丈夫!」という言葉は気に満ちあふれ勇気づけられた。教室の皆さんの励ましと繋がった強い気に応援されどんどん気分は上昇していった。「治らないわけがない!」と思えるようになるまでにはさほど時間を要さなかった。夫と共に朝晩の練功に励むようになった。

3月6日私の50歳の誕生日、乳ガンという予想に反し私の科は造血器腫瘍科に変更され、悪性リンパ種という診断結果が下された。何とも嬉しくないビッグなバースデイプレゼント。人生のターニングポイントで生まれ変わりなさいということなのか? 3日後には入院し、すぐに7種類の抗ガン剤治療がスタートした。無菌室に3ヶ月間缶詰めとなり想像を絶する過酷な治療は続いた。全国27例目という最新式の治療で途中落伍する人も少なくないという事を知ったのは治療も後半になってから。口の中じゅう口内炎が出来、吐き気と味覚障害で食事がとれず体重は30キロ台に落ち、輸血も数回必要となった。

入院当初は顧先生のCDを常に聞き、できる限り練功したが、体力はいよいよ衰え、立つことさえ不可能になった。そんな中、中村指導員は遠路病院までお運びくださり外気調整をしてくださった。寝たまま開閉をすることや、それさえもままならなくなったときは「混元霊通」を唱えるなど、その時々にできる功法をいくつも教えていただいた。

教室で知りあった宮崎さんも外気調整をしに度々来院してくださった。私に智能気功を紹介してくれた金沢の山口さんや大変な刻苦練功でご自分の大病を克復された木村さんをはじめ教室の皆さんもずっと気を送り続けてくださった。この応援は実に大きな力となった。先生や皆様、そして1日おきに外気調整してくれた夫の存在が無かったら、きっとこの厳しい治療を続ける事はできなかったであろう。もうダメという思いにかられる度に不思議と先生は駆けつけてくださった。外気調整の後は抗ガン剤の副作用は軽くなり、心身共にとても楽になった。

奇跡のような事が幾つも重なり、気のすばらしさと涵養道徳の大切さを痛感した。今こうして完全寛解という結果が出せ、どんどん健康になっている私があるのは気で繋がった全ての皆さまのお陰と深く深く感謝している。病気になって気の力を実体験した今、練功に励み、涵養道徳に則った生き方をすれば怖いものは何もないと心から思えるようになった。この智能気功のすばらしさを一人でも多くの方に知っていただきたいという思いで一杯である。


学院健美長寿教室 横田千里


気功に出逢って

2009年2月1日、久々に父の介護から解放され、遠方から上京する友人とのランチ。いそいそと着替える途中、一瞬にして気分は暗澹たるものに。背筋が凍る思いというのはこういうことなのか。左胸に5センチ程のかたいしこりを発見した。暮れからの父の入退院を恨んでみたり、なぜここまで気付かなかったのかと自分を責めてみたり、とにかく一刻も早く受診しなければと知り合いの医師の紹介状を握りしめ、ここぞと思う病院へ向かった。受診先の科は包括的ガンセンター。乳ガンを証明すべく検査は始まり、一週間のうち半分くらいは病院通いとなる。当然ではあるが不安は募るばかり。そこに中村和子指導員から「どうしてますか?」とメールをいただいた。父の数回の入退院でしばらく気功を休んでいた私。今思うと、これも気のなせるわざなのか、教室の一生徒であった私を気遣ってくださったありがたいメール。藁をもすがる思いで返信した。「とにかくすぐにいらっしゃい」というの力強い言葉に導かれ、翌日には教室に伺い整体をしていただき、入院までの間、夫と教室へ通う運びとなった。一度の外気調整で凍っていた心が解けだし、体はぽかぽかと温かくなった。中村指導員の「大丈夫!」という言葉は気に満ちあふれ勇気づけられた。教室の皆さんの励ましと繋がった強い気に応援されどんどん気分は上昇していった。「治らないわけがない!」と思えるようになるまでにはさほど時間を要さなかった。夫と共に朝晩の練功に励むようになった。

3月6日私の50歳の誕生日、乳ガンという予想に反し私の科は造血器腫瘍科に変更され、悪性リンパ種という診断結果が下された。何とも嬉しくないビッグなバースデイプレゼント。人生のターニングポイントで生まれ変わりなさいということなのか? 3日後には入院し、すぐに7種類の抗ガン剤治療がスタートした。無菌室に3ヶ月間缶詰めとなり想像を絶する過酷な治療は続いた。全国27例目という最新式の治療で途中落伍する人も少なくないという事を知ったのは治療も後半になってから。口の中じゅう口内炎が出来、吐き気と味覚障害で食事がとれず体重は30キロ台に落ち、輸血も数回必要となった。

入院当初は顧先生のCDを常に聞き、できる限り練功したが、体力はいよいよ衰え、立つことさえ不可能になった。そんな中、中村指導員は遠路病院までお運びくださり外気調整をしてくださった。寝たまま開閉をすることや、それさえもままならなくなったときは「混元霊通」を唱えるなど、その時々にできる功法をいくつも教えていただいた。

教室で知りあった宮崎さんも外気調整をしに度々来院してくださった。私に智能気功を紹介してくれた金沢の山口さんや大変な刻苦練功でご自分の大病を克復された木村さんをはじめ教室の皆さんもずっと気を送り続けてくださった。この応援は実に大きな力となった。先生や皆様、そして1日おきに外気調整してくれた夫の存在が無かったら、きっとこの厳しい治療を続ける事はできなかったであろう。もうダメという思いにかられる度に不思議と先生は駆けつけてくださった。外気調整の後は抗ガン剤の副作用は軽くなり、心身共にとても楽になった。

奇跡のような事が幾つも重なり、気のすばらしさと涵養道徳の大切さを痛感した。今こうして完全寛解という結果が出せ、どんどん健康になっている私があるのは気で繋がった全ての皆さまのお陰と深く深く感謝している。病気になって気の力を実体験した今、練功に励み、涵養道徳に則った生き方をすれば怖いものは何もないと心から思えるようになった。この智能気功のすばらしさを一人でも多くの方に知っていただきたいという思いで一杯である。


柳瀬川教室 矢代弘子


幸運なこと

田中 洋智能気功にめぐり合えたことは、自分にとってとても幸運なことだったと思っています。その幸運と思うことについて、もっと多くの人たちと分かち合っていきたいものだと思います。

プロローグは平成16年8月のお盆明けでした。ご縁あって大畑敏久さんが指導員をされていた東京都内・深川の智能気功教室に体験参加しました。その夜、布団に横たわって何となく不思議な感覚があったように思います。そしていつかは自分にとっても、智能気功が必要になる日が来ることを予感しました。

第一幕は平成18年12月に突然その幕が上がりました。数え年60歳の大厄の師走、還暦という人生の中間決算期末とも言うべきタイミング。比較的に健康に恵まれてきたそれまでの人生の帳尻を合わせるかの如く、集中的に発生しました。
まず12月上旬に喉の違和感。飲み物も食べ物もすんなりと喉を通りません。次に12月中旬、いつもの街の風景がおかしいことに気付きました。視界の前方から右側にかけて、モノがダブり二重に見えるのです。1本の電柱は2本、道路の1本の白線はV字型に2本、沈んでいく夕日が何と2個見えます。さらに仕上げは12月下旬でした。自宅の屋根裏収納室から折畳み階段を降りる際に、踏み板が二重に見えたのでしょう、踏み外して回転しながら落下し、肋骨骨折、肺に損傷出血ありで即入院、思ってもみない年末年始の1週間入院となりました。

一方、幸運な第二幕は平成18年12月22日から始まりました。都内総合病院の主治医から、喉の反射運動と眼球運動の障害はすべての検査をしても原因不明ですので、この病気は自分で治してください、と言い渡されました。咄嗟にこれは、気功で治すことだと解釈しました。その夜、大畑敏久さんのご紹介を頂いていた大塚教室に行き入会の手続をし、早速に顧方暁先生の初級教室を体験しました。するとその夜の大塚駅への帰り道、自販機で好物のお汁粉を見つけ注意深く少しずつ飲んでみたら、意外にすんなりと飲めました。1回の練功ですが早速に効果が顕れてきたみたいでした。骨折入院中の前半は初級テキストだけを読む毎日、後半は実際に病室で捧気貫頂法を思い出しながら練習しました。

退院してからも大塚教室に通い、自分なりに自宅で毎日練功を続けていましたら、年が明けた1月中旬には肋骨骨折と肺の損傷も完治。2月早々には、高速道路を再び大型バイクで走れるようになり、眼球障害も完全回復したことを実感しました。

昨年12月下旬に始まった第二幕は現在も続いており、自宅や旅先での練功は欠かさないように努めています。幸い当座の病気治しという目的は達せられましたが、さらに自然治癒力を高めたり、健康の領域に近づいたりするには、今後もっと多くの日々が必要となることでしょう。また、宇宙と大自然と生命活動にかかわる智能気功科学にも関心が深いものがあり大いに惹かれるところです。

人生には、予定外のことが起きたりするものではありますが、自分なりに今後の人生シナリオの中に智能気功を重要な軸として据えることができることは、とても幸運なことと思っています。


田中 洋
金融会社監査役
日本智能気功学院指導員


智能気功と箱根講習会を顧みて

三年前、腰椎圧迫骨折になり下肢鈍麻で入院治療を受け、車椅子での生活からは開放されたものの、自立歩行が出来ず杖を頼りの不安定な生活を続けておりましたところ、一年前、偶然にも家内の知人より智能気功・町田教室を紹介頂き、さっそく東城指導員の指導を受け、病院でのリハビリとは全然違う体の動きが出来るようになりました。
今回、箱根での講習会があり「顧先生と握手をして頂き、強い気と情報をもらいなさい」と、東城指導員に背中を押され、遠出など出来なかった私ですが、家内の助けも得て参加させて頂きました。
講習会前日は4月としては珍しい雪となり、交通機関の運行も心配しましたが、当日は天気良く箱根の新緑を眺めながら気持ちよく会場のホテルに着きました。
午後からの捧気貫頂法の強化練功の時、顧先生が前日より会場に強力な気場を作って下さったと伺い、それで季節外れの雪も消えたのではと思っています。
練功時は、顧先生の気を少しでも多く受けようと最前列で頑張り、夕食後は気を採取する方法を通して意念と動作を結合させる練習を指導頂き、意念を充実させて練功をしなければと心に留めました。
顧先生との握手の時、一番初めに先生の手に触れさせて頂き、体が震えました。
先生は足が軽くなる、歩けるとおっしゃって、ステージの上まで杖を持たずに歩きなさいと4,5歩足を運ぶまで手を貸して下さり、意を決してステージに向かいましたところ、何と先生がおっしゃった通り歩けたではありませんか。
この時の感動を生涯忘れず練功に励みたいと決意をしました。
顧先生をはじめスタッフの皆様、また参加されました多くの方々から多くの気を頂き、感謝しております。
先日も近所を歩いておりますと近隣の方々が声をかけて下さり、「しっかりした足取りで歩けるようになった」と励まして下さいます。
これも今回、顧先生に気を頂いたお陰と感謝しており、練功の励んでいきたいと思っております。


町田教室 田中四郎


学院中級教室懇談会の一部

越川:教室に入って1年になります。1年経って何がかわったかというと、体の変化は右目が外斜視が良くなりましたが、気が抜けるとまた症状が戻る、その繰り返しです。
先日運転免許の更新に行きました。以前の視力は裸眼で0.2くらいだったんですが、担当者に今回は裸眼でやってくださいと頼んでもダメなんです。無理やりやってみたら見えちゃったんです。それでも裸眼ではダメだと言うんです。それなら別の人にメガネをはずしたいと言ったら、裸眼で見えるならと言うことで、メガネなしになりました。まだ免許はもらいに行っていないのですが、多分0.7か0.6くらいになっていると思うんです。
あと、まだまだダメなのはちょっと怒りっぽいところです。
これからの課題でありまして、やはり捧気貫頂法、三心並站庄、これをきちんとやっていきたいと思います。正しい動作をやっていきたいと思います。

岩崎:登録をさせていただいてから1年3ケ月。生きておりましてここが1番目か2番目に、ここに対峙させていただくと、いいなぁーというふうに思います。とても心身が楽になります。先生に言っていただいている「緩め」にはまだまだおぼつかないが、自分のレベルでは24時間、一月、まぁ1週間、その中で教室に来た日が一番緩んでいる感じがしています。このところそれなりに休みなく来ておりまして、私のレベルですけれども自分自身で少しは楽しみが、そしてやる気が少し内から出て来ている感じがしています。
まぁ本気にならないと、どうにもならないのでしょうけれども、1年間教室だけ、あとは一切練功しないフラチ者でございます。ウソなしで少しまじめに練功して、できれば意味あって当然集中的に合宿が組まれているということですので、合宿に出られるような、そういう精進もしたい。とにかくありがたいことだと思っています。よろしくお願いいたします、
先ほどの越川さんの話で思ったのですけど、22歳以来ずっとメガネをかけておりましたが、気がついたらはずしておりました。メガネは机の引き出しにしまってあります。私が30年来行きつけの新宿東口のメガネ屋にデータがあるんですけど、買え買えとは言わないメガネ屋さんなので余計に行きたくなり、タダで当然検眼してもらいましたら、0.8とか1,0に戻っているんです。たまには紫外線の強い時にサングラスをかけたい気分になります。今は度付きじゃないサングラスをかけて、伊達メガネということになりました。一応体験の報告です。

岡崎:1月からお世話になりまして、いろいろ病気を持っていたのでざーっと言います。血液の中の中性脂肪、コレステロール、肝機能、これが全部良くなって血液検査は全部OKになりました。
それから2つだけ負けてしまったものがあります。1つは皮膚病、かゆい。夜眠れないので薬に頼って、まぁ両方の相乗効果があったのだと思いますけど、今年は比較的良く眠れました。それから血圧、これも怖いので薬に頼った。2点だけ薬に頼ってしまったのですが、血圧も130以上上がらない状態で、いい生活になりました。
それから頭のフラつき、フラフラしていつも倒れそうになってしまうのですが、家が川崎の奥の方で坂道が多く、行って帰ってくるとハァハァしちゃって横にならないといけなかったのが、初級が終わるころには良くなりました。それと立ちくらみもまだ時々はあるのですが、もう生活に支障をきたすことはなくなりました。立った瞬間真っ暗になって見えなくなる。これもほとんど出なくなってきましたし、
今、挑戦しているのは坐骨神経痛と腰痛なんです。けれどもこれも今朝あたりあれ? という感じで、良くなってきたような感じなんですね。だから、いやこれは本気になって練功しないといけないと思いました。この前、石川指導員にハッパをかけられ、(地中の押し引きを30回でも50回でもやりなさいと言われたんですが、痛くなっちゃうのではないかと思って、おそるおそる20回やりました。そうしたら今朝歩けたんですよ。トイレに行くのに、普通はピアノ腺を張ったみたいに痛くて歩けないんです。しばらく揉んでからとか、とにかくゴチャゴチャやってからでないと歩けないんです。でも今朝はスーッと行けたので、あらこれは50回やらないと、と思いました。
この1年いろいろ体の中で変化があって、おそるおそるでも少し前進。
あの大畑指導員のご紹介でうかがったのですけども、奥様にも後ろから押されながら、娘さんの真理子さんにも押されながら、社長にも引っ張られながら、先生方にも引っ張られながら過ごしてまいりまして、良かったと思います。ありがとうございました。

岡崎(奥様):私は、主人がフラツキのために一人で歩けないので、一緒について来ています。始めたら楽しくて最後まで付き合っていました。これからもずっと付き合っていきたいと思います。

塚本:私も目を治したいというのが目標の1つです。何とか体の痛みと精神的な弱さとかを克服したいと思っています。傷みは結構忘れられることがあったり、先ほどみたいに1つが通ったら1つが出てくるということを繰り返しながらきています。
未だに悩んだりいろいろで、先生方のご迷惑をかけていますけど、出会えて本当に良かったと思います。10年前に出会いたかった。だけどホントに感謝しています。もう少しがんばってもうちょっと深い所にいきたいと思います。
師岡:腰が年に2回くらいギクッとくるのが悩みで通い始めたんです。けれどもこの1年2ヶ月、すっかりというか、たまに何かあるんですけれども、ギクッときたことがなく、中村指導員が「きそうになったら大丈夫と思いなさい」と。もうそれだけでほんとに今年はゴルフを再開できましたし、最高の年でした。

山野:私の一番大きな理由は、目を良くしたいということだったのですが、目を前方に向けの練習で、未だに目をジーッと開け続けることができないで、自然に、勝手にまばたきしてしまう方なんですけども、今日はまぶたが勝手に動く前に涙が出てきたので、だんだん良くなっていくのではないかと思っています。
他のところではまず風邪をひかなくなったのではと思います。のどが痛くなると風邪をひいていたんですけれども、のどが痛くなったところでなんとかくい止めて、風邪をひかないですんだことが2回ほどありまして、今冬は風邪をひかないで過ごせると期待しております。ついでに、花粉症も春になって出てこなければいいなと思っております。
涵養道徳、心の修業の方はまだまだです。

宮崎:子供のころから虚弱体質で、生まれた時も3日間生死をさまよった、死にそうな子でした。北海道出身で、北海道にいたときは守られて良かった。こちらに来たら喘息になったり、アトピーになったり、夜中の2時には発作が起きちゃう。20歳代から何十年もそんな感じでした。腰も弱くて、まずギックリ腰から、こちらの先生に治していただいて教室に入ることになりました。
ほんとにいろいろな反応が出ていました、発作は初級クラスのあと出なくなった、治るという感じで、苦しいんだけどひどくならないという希望がある、抜けている感じで、すごいすごいという感じです。
人間ドックの結果も前の年より良く、体重も中年太りになっていたのが戻って、今は7kg減りました。学生時代に戻ってほんと不思議です。
形神庄を始めて捧気貫頂法上級クラスにも入ったら、また発作が出てきて熱も続いたりして、忙しいので病院に行ってしまった。熱が出てカーッとなったんですけど、気持ちが良かったんです。そのような反応が出てきて、今はじんましんがバーッと出ているんです。でも先生達には「よかった、おめでとうございます」と言われ、漢方の先生にも「中がすごくきれいになりますよ」と言われています。
病人が身近に何人かいて、今年は外気調整をいっぱいしました。私の姉も繊維筋痛症という病気で体が固まってしまい車椅子状態だったのですが、こちらの整体や外気調整で少しずつ動くようになり、中村節子指導員が出張してくださり、また一段と良くなり、仕事を辞めなければいけないと思っていたのが、1週間後には自転車に乗って復帰。ほんとに外気調整はすごいなと。
出会えて良かった智能気功という感じです、

藤田;私は今年、大きな怪我をしました。自分の不注意なんですけども転んで、腰の太い骨を折りまして、もうその時はポキッと音がして左へガァーンと突き上げられて、全身が曲がったんじゃないかと思いました。 結局、家には誰もいない、救急車を呼ぶに呼べない。すぐそこに携帯があるのに手も伸びない。お隣の奥さんがその直前に出かけて行ったのを知っている。道路の人はのぞきこまないと見えない。
さぁこれはどうする、と思いながら、ひたすら気を入れて、新鮮な骨折は治ると聞いていましたので、こんな新鮮なことはないと思いながらやっていたんですけど、結局もうダメなので家に入ろうと、偶然カギはポケットに入っていたんですね。ドアさえ開ければセコムが緊急で飛んでくるだろうと思って、立てないのにどうして立ったんだろうか? と思うくらい立ち上がって、カギを開、中に這って入って、セコムが来るのをジーッと待っていたんですが、来ない。緊急のベルは鳴っているのに来ない。
もうどうしようと思って、その内火がついたように体が熱くなって、今度はそれが冷たくなって、どんどん冷たくなって、ひょっとしたら死んじゃうのかもしれないと思いました。立ち上がる気力もない。受話器が取れない。コードを引っ張って降ろしても手が震えて119番が押せない。主人が帰って来るまで待つしかないと思っていたら、セコムの人が来てくれた。要は泥棒が中にいたら入っていけないらしい。警察官を呼んで外にいたらしい。だから最初から外にいればよかったらしい。中に入って来た途端、私の押したボタンがつながり、こちら119番です、どうしました? どうしました?  救急ですか? そんな具合で救急車に乗って病院に行ったんです。
もう病院で全部検査が終わった段階で、何もすることはありません。装具ができるまで寝ている以外方法はないと言うんですよ。若い人だったら背中が曲がらないようにいろいろな方法があるけれど、この年になったらそんな無理な体勢はしないで、寝ているしかないと言われたら、これは気功をしなさいということだと思って、それこそ寝てはさめ、起きては気を入れっていう感じで、入れていました。
5日くらいで、装具ができて着けたたんですけど、先生たちが3人がかりで私をギュッと起こすんです。もう飛び上がるほど痛くて、触らないで! 私、自分で起きます! それで自分で丹田に気を落として、手を伸ばして、もう大丈夫と思って、真横にスーッとねじらないように起き上がると座れるんですね。先生たちが立たせようとする、一人で立つから触らないで! また丹田に気を入れてスーッと立ち上がると立てるんです。骨が折れていますから、姿勢を良くしないと痛いんです。まっすぐしていれば痛くないんです。
何人も気功の仲間が来てくれてほんとに励まされて、気を入れてもらうと、もうほんとに痛いのに、そこの周辺が熱くなる。アッ、絶対大丈夫! と思って、マイナスに考えないで2ヶ月間入院していました。
退院して家で2ヶ月寝ていて、3ケ月経ったから杖をついて家の周辺を歩いてみた。これなら気功に行けるんじゃないかと思って来ました。これは絶対大丈夫だと思って、それから杖をついて1ヶ月して、今教室に戻らなければダメかもしれない。それでこのクラスと午前中のクラスを痛いままやってみようということになって、今も全身痛いんですけど、痛くないフリをしてやってるんです。
でも、細かいところは1つずつ全部クリアしてきているんですね。それがいつか全部つながって治るという確信みたいなのが今あるんですけど、腰じゃなく、それ以前に悪かったところが以前よりずっと良くなってるんですね。やはりこれは折るべくして折った。ここで折らなかったら治らなかったのかな、なんて最近思っています。

岩永:私は皆さんにどこが悪いんですか? と聞かれることが多いんですけど、血圧が高いんです。ゴールデンウィークに全然目が見えなくなり、救急で病院に行きました。看護師さんが血圧を測りましたら、すぐストレッチャーに乗せられ、あなたは血管が切れているから脳外科、と言われ連れて行かれました。神経に異常がないことが分かって、1年間気功をしていたので、吐き気もなく、頭痛もありませんでした。
目の方が痛いということで、眼科に行きましたら、眼から出血していますので、あなたは失明するかもしれませんと言われました。それでもこんなに立っていられて、ベッドにも寝ていなくて、不思議です、と眼科の先生に言われ、それでその晩は家に帰されました。
中村指導員にメールして、家の近くまで来てもらって、そのときに気の中に包まれているのがすごく分かって、真っ暗の中に1週間いたんですけど、気のふとんに寝ているような感じでふわふわしていて気持ちが良くかった。1週間後に病院に行ったときは血圧も130に下がっていました。
気を送っていただいているとき、それも感じることができました。教室に来た方がいいということなので、歩けないので主人に連れて来てもらって、ここの階段を手伝ってもらい、教室に参加させてもらっています。
今では生活に支障がないほど回復しました。字は見えにくいんですけど、料理は最初、下を向いて切ることができなかったのですが、それも良くなりました。お買い物も行けるようになりました。これもすべて気功のおかげだと思います。皆さんとご一緒させていただいて、皆さんの気功を理解しようとしている姿勢が刺激になります。
1年前から通っている私には、思いもしないことを皆さんに教えていただいて、何も疑問もなく淡々とやっていたことを反省しています。
3ケ月で内科の先生に数値はみな正常と言われました。

堀江:先ほど藤田さんの体験談をお聞きしましたけど、私はその前からちょっとしたことで藤田さんとお近づきにならせていただきました。それで、今回入院されたというので病院に伺ったときに、こんなにひどいお怪我をされて、さぞ大変な思いなのに、にこやかでした。私は辛いお顔を想像して、辛い気持ちでお見舞いに行ったんです。そうしたらほんとににこやかに、平常心で、私たちを逆にいたわってくださいました。それまで気功をなさっているというのは知ってたんですけど、病院から帰ってその日のうちに、ここにいらしている西田さんにまた出会ったんです。これは私を気功に導いてくださったんだと思って、気功のことを西田さんにお伺いしたら、最後の無料体験会が明日と言われたので、とにかく行ってみます、ということで気功に出会わせていただきました。
今のところはさして体に不健康な面は自分で感じる限りないんですけど、それこそ涵養道徳じゃないんですけど、それにも引かれるところがあります。少しずつがんばらせていただきます。
河野です:こちらのクラスでは半年間ご一緒させていただきました。自由が丘からここまで1時間くらいかかりまして、最初は通いきれるかなと思ったのですが、愉快な仲間たちにめぐり合えて、また、来年も引き続きご一緒させていただきたいと思います。
私もまだ気を見たり、感じたりはあまりできないのですが、例えば先ほどもゴルフのお話がありましたけど、ゴルフで足がつったときは、歩きながら片手で気を入れて治したりとか、正座したときには自分で足に気を入れてシビレを治したりとか、ほんとに智能気功は日常的にいろんな面で役に立っています。
自分だけでなく周りの人の調子の悪いところを治してあげられるということで、私もこの智能気功を知って人生はほんとに楽しくて、生きがいを与えてくれました。
はるばる中国から日本にいらして教えてくださる顧先生に感謝。今までフォローしてくださった中村和子指導員に感謝、教室で石川指導員、高橋指導員にもいろいろと教えていただきまして、このクラスはすごくぜいたくな教室だなぁーと、楽しい教室でした。

高沢:私は4月からその前の無料体験会から来ています。気功に興味がありまして、健康維持ということで続けていきたいなと思っています。入ったころはジムにも行ってまして身体の方はいい状態でした。それでその状態をずっと保っていきたいと思って気功の力を借り、続けていきたいと思います。
それで最初は自分の健康のためとか思っていたんですけど、気功をやってきて、気功はどういうことができるのかをいろいろ知るようになったり、また聞いたりして、今後の自分の方針としては、外気調整、困っている人を自分が治せたらいいな、と外に向かって気功の活動ができたらいいなと、そう思って続けたいと思っています。

平林:私も4月半ばくらいに、ジムで田中さんという方が大畑さんの本を3冊もらったからと私に1冊くれまして、一晩で読んだら私にできそうな気がして、すぐに田中さんに相談したら、忙しくてできないから私一人でもすぐにということで飛び込みました。
私にでもすぐにできるような感じになりまして、1ヶ月くらいで気も見えるし、田中さんに伝えたら、ウソだろう? という感じでしたが、田中さん夫婦が、平林さんにできるなら私達にもできるだろうと、信頼関係があるものですから、6,7月頃に入ったんです。けれども1ヶ月経っても何も見えない。それで平林さん、俺達にはできないよって言うから、やればできるよって言ったんです。それで1ヶ月半位したら奥さんが見えはじめ、そのうち2ヶ月位でご主人も見えてきて、平林さんの言うことはほんとだった! とよく話をするんですが、他の人に言っても信用してくれないんです。でもこれはいいことだから根気よく勧めようと言いながらやっています。
私はおかげ様で幸か不幸か左足に造影剤の影響で障害があるんですけど、たとえば普通に洗面台に立っていても下の方から熱くなるんです。で、お聞きしたら気が入っているんだねと。普段から気功を取り入れて生活することができるようになって、ほんとにありがたいことだと思っています。
まだ納得できないことも多いので、中級をもう1回やってみます。
皆さんに勧められるようないい状態になりました。助かっております。


進化する六十代

「進化する十九歳!」とアナウンサーが何度も絶賛する世界女子バレーボールの中継を見ながら思った。進化は十九歳だけの、若い人だけの特技ではない。智能気功を始めれば何歳であっても可能な筈だと。

平成十四年一月、大塚本部の捧気貫頂法初級教室(金曜日夜)に入門した私は、還暦を過ぎていたが、まだ現役の会社員。金曜の夜といえば、巷の酒場は一週間の疲れを癒すサラリーマンで賑わう「花金」。無論、私も金曜日にしらふで帰宅したことなど殆んどなかった。しかし、入門後は金曜の付き合いは一切断り大塚通いを守り続けた。最も疲労がたまっている筈の週末にも拘らず、練功を終えて十一時近くの帰宅が少しも苦にならず、むしろ爽やかで、すっきり疲れがとれているのを体感した。不思議であった。

半年後、考えるところあって自らの意志で会社人生に終止符を打ち、これを機に捧気貫頂法(中級)と形神庄(初級)の昼のコースに進んだ。生来頑健でもなく、貧弱な体躯と鈍い運動神経の持ち主であったが、少年時代に柔道、大学に入って空手、中年になって太極拳を習った。それなりの努力はしたものの身体の硬さだけはいかんともし難く、二十代で患った椎間板ヘルニアの後遺症もあって、前屈動作は膝の位置までしか手が届かなかった。それが今では掌が殆んど床に着くまでに進歩した。形神庄第五節(俯身拱腰)のおかげである。身体硬直コンプレックスの私にすれば奇跡的と言ってもよいほどの変化であり、驚きかつ喜んでいる。

また、仕事がら宴席が多かったが、酒に弱い体質なのでいつも二日酔いに悩まされていたのが、気功を始めてからというもの、これもぴたりと収まった。連日連夜、二ヶ月近くにわたった送別会も難無くこなし、「どうしてそんなにタフなの?」と周囲を驚かせもした。気功のおかげとしか思えない。

平成十五年度は、中村和子先生のお勧めにより養成コースの合宿に全て参加、過日最終コースⅣを無事終了した。三時間ぶっ通し練功の時も充実感と安定感があり、入門当時に比べて格段の差を感じた。

これらの変化は、我が年齢を考えると進歩、向上といった表現ではあき足らず、あえて「六十代の進化」と題した次第である。

さて、肝心の「気感」であるが、これを本当に気感と言ってよいものなのかどうか、正直なところ自信がない。まだまだ不十分なので更なる研鑚、練功が必要と思っている。

また、長年アルコールに侵食され低下著しい脳がどこまで回復できるのかも引き続き課題である。せめてこれ以上退化しないよう「開智功」に励んでいる昨今である。

ともあれ、日本の典型的会社人間として人一倍心身を酷使して来た者が、ボロボロの老後を迎えることなく、一転して正常化に向いつつあるのは、何とも有り難い話である。この気功との出会いに心から感謝している。

パンミン先生の掲げられた「人類の幸福増進」と言う高い理念と、その意を受けて日本での普及に鋭意努められた顧先生の志に共鳴し、自分の為だけではなく、むしろ人様を助けることが出来るレベルにまで熟達したいと願っている。その時こそ、真に「進化」したと言えるのではなかろうか。進化する六十代、益々楽しみなことである。



松田憙明


うれしいこと

矢野圭子主人は腰回し(形神庄)の回数の話にヒントをいただいて、排尿時のつらさを乗り越えました。

ある時、顧先生の腰回しのお話を聞きました。腰回し左右の回数と、尾てい骨を前後に動かす回数は同じがよいとおっしゃった。つまり左側三百回なら右側も三百回、前後も三百回です。前後も三百回かとびっくりしていると、先生はそうです、それくらいやらなければと言われました。先生のおっしゃった意味は何事も努力が必要だ、ということかもしれません。

トイレに行っても尿の出が悪い、キレも悪い、残尿感もあり、一番困ったのが、ズボンがよごれてしまうこと。そんなことが続いていたので、主人は先生のお話を聞き、練功をよくやらなければと思い直したそうです。いい刺激を受けたおかげで、家でも時間があったらやる、生活の気功化、気功の生活化を心がけたようです。早くスッキリしたいという気持ちがそうさせたのかもしれません。

先日学院で期末懇談会がありました。その時主人が、「最近小便の出が良くなり、キレも良い、気持ちいいです」と発言し、とてもうれしそうな顔をしました。そして「腰回しをよくやったおかげでしょうかね」とも言いました。
主人は今七十三歳です。学院で練功した後、整体をしていただきます。最近はそうしていただくと、家での生活と会社の仕事がうまくいくようです。こうした行動ができるのも気功を続けていたからだと思います。



矢野圭子


10ヵ月で「うつ」から脱出!

主人は、朝起きても会社に行くのがつらいという状態から、やがて起きられなくなり、とうとう会社を退職。そして一日中、寝ているという日々が3年以上続いておりました。

一昨年、知人から無料体験会のチラシをいただき、まず私が出席してみました。「何か良さそう」と思い、家に帰り「ちょっと行ってみない?」と主人を誘ってみると…あっさり承諾。次の週は二人で出席し、入会しました。

それからは皆さんと週一回、教室で練功するのが楽しみになり、自宅でも自ら毎日練功するようになりました。それからは、指導員の「大丈夫!何とかなる」という言葉にも励まされ、徐々にうつ病のトンネルから抜け出すことができました。

現在は、再就職をして元気な毎日を送っております。

これも気功との出会いのお蔭と、心から感謝いたします。




工藤幸子


癌が完治するまで

二〇〇六年九月、私は毎年のバリウム検査で胃にポリーブが見つかりました。近くの病院での検査では、ポリープは癌でリンパ節に触れているかもしれず、手術は無理のレベル4(四段階中一番進行している段階)と診断されました。国立ガンセンターでさらに詳しく調べるのに転院する間、母が十五年前から習っていた気功に賭けてみようと決心しました。早速、中村和子指導員に自宅に来て頂き、整体をしてもらい智能気功のお話を聞いた時「ああ、これで助かった」という確信が持て、安堵した事を覚えています。

その日から週に三日は大塚教室に通い、教室での練功と外気調整、母にも毎日一時間以上「気」を入れてもらい、自宅でも毎日時間さえあればビデオとCDを頼りに練功に励みました。検査の前にも「気」を入れてから臨むと、効き過ぎて内視鏡やレントゲンが壊れたり写らなかったりするハプニングもありましたが、三週間後の検査結果は手術が出来るレベル1、つまり初期癌レベルとの診断に変わりました。

手術当日も開閉し、中村指導員初め皆様に「気」を送って頂いたお蔭で出血も少なく短時間で済み、手術は成功。開腹手術にもかかわらず二週間もしないうちに退院。退院一週間後には世田谷の自宅から大塚教室に通う程、驚異的に回復しました。病片の検査結果も「レベル1でも最も軽く九九、九%再発はないでしょう」とのお墨付きまでもらいました。

中村指導員初め大塚教室で「気」を入れて下さった指導員の方々、教室の皆様、本当にありがとうございました。感謝の気持で一杯です。

余談ですが、同じ病室にいた三人の方も智能気功に興味を持ち、大塚教室で整体を受け徐々に良くなっています。息子が通う小学校PTA仲間五名も一月から初級コースに通い、四月からはさらに増える予定で、私の周りでは智能気功の輪が広がりつつあります。

智能気功を知ってもらう事で少しでも皆様のお役に立てたら、私の病気も無駄ではなく、何よりの恩返しだと思っています。




田淵陽子