進化する六十代 松田憙明

「進化する十九歳!」とアナウンサーが何度も絶賛する世界女子バレーボールの中継を見ながら思った。進化は十九歳だけの、若い人だけの特技ではない。智能気功を始めれば何歳であっても可能な筈だと。

平成十四年一月、大塚本部の捧気貫頂法初級教室(金曜日夜)に入門した私は、還暦を過ぎていたが、まだ現役の会社員。金曜の夜といえば、巷の酒場は一週間の疲れを癒すサラリーマンで賑わう「花金」。無論、私も金曜日にしらふで帰宅したことなど殆んどなかった。しかし、入門後は金曜の付き合いは一切断り大塚通いを守り続けた。最も疲労がたまっている筈の週末にも拘らず、練功を終えて十一時近くの帰宅が少しも苦にならず、むしろ爽やかで、すっきり疲れがとれているのを体感した。不思議であった。

半年後、考えるところあって自らの意志で会社人生に終止符を打ち、これを機に捧気貫頂法(中級)と形神庄(初級)の昼のコースに進んだ。生来頑健でもなく、貧弱な体躯と鈍い運動神経の持ち主であったが、少年時代に柔道、大学に入って空手、中年になって太極拳を習った。それなりの努力はしたものの身体の硬さだけはいかんともし難く、二十代で患った椎間板ヘルニアの後遺症もあって、前屈動作は膝の位置までしか手が届かなかった。それが今では掌が殆んど床に着くまでに進歩した。形神庄第五節(俯身拱腰)のおかげである。身体硬直コンプレックスの私にすれば奇跡的と言ってもよいほどの変化であり、驚きかつ喜んでいる。

また、仕事がら宴席が多かったが、酒に弱い体質なのでいつも二日酔いに悩まされていたのが、気功を始めてからというもの、これもぴたりと収まった。連日連夜、二ヶ月近くにわたった送別会も難無くこなし、「どうしてそんなにタフなの?」と周囲を驚かせもした。気功のおかげとしか思えない。

平成十五年度は、中村和子先生のお勧めにより養成コースの合宿に全て参加、過日最終コースⅣを無事終了した。三時間ぶっ通し練功の時も充実感と安定感があり、入門当時に比べて格段の差を感じた。

これらの変化は、我が年齢を考えると進歩、向上といった表現ではあき足らず、あえて「六十代の進化」と題した次第である。

さて、肝心の「気感」であるが、これを本当に気感と言ってよいものなのかどうか、正直なところ自信がない。まだまだ不十分なので更なる研鑚、練功が必要と思っている。

また、長年アルコールに侵食され低下著しい脳がどこまで回復できるのかも引き続き課題である。せめてこれ以上退化しないよう「開智功」に励んでいる昨今である。

ともあれ、日本の典型的会社人間として人一倍心身を酷使して来た者が、ボロボロの老後を迎えることなく、一転して正常化に向いつつあるのは、何とも有り難い話である。この気功との出会いに心から感謝している。

パンミン先生の掲げられた「人類の幸福増進」と言う高い理念と、その意を受けて日本での普及に鋭意努められた顧先生の志に共鳴し、自分の為だけではなく、むしろ人様を助けることが出来るレベルにまで熟達したいと願っている。その時こそ、真に「進化」したと言えるのではなかろうか。進化する六十代、益々楽しみなことである。