疑り深く慎重すぎるゆえの・・・
気をはっきりとわかりやすく力強く感じられてこそ、気はあると信じられるし、納得できる。たまにこれかな?と感じられても「思いこみ、偶然、たまたま、気のせいでしょう」と打ち消す始末。自覚がなくても意識の深いところでは、こういう思いがあったのです、しかも長い間・・・
気功にも自分にも信用がなかったのです。恥ずかしい話ですが。
智能気功の理論を学んで実践するを繰り返して、ようやくその理論の前提が当たり前になり、やっと頑なな価値観(無意識の意識の深いところ)が降参したようです。
そうしたら、気感や練功がガラリと変わり始めました。
ずいぶんと、新たな価値観のインストールを手こずらせ複雑にしていたなと思います。
意識は「あるようなないような」軽さで在りたい。